梨木果歩さんのはなし
こんばんは。
今日は日曜日ですが、月末までに論文を書かねばならないので朝から学校にいました。
院生室に籠っていれば、ただでがんがん暖房をかけて快適に過ごせるのでいいですね。
今日は梨木果歩さんの作品について。
梨木果歩さんといえば『西の魔女が死んだ』がベストセラーです。
自分が一番初めに読んだのはなんだろう。
と思い出していたのですが、思い出せず…たしか中学校の図書館で借りた『りかさん』だったような。この世界観好き!と感じてその頃からコツコツ読んでます。
梨木さんの作品全体を通して言えることは自然の美しさを文体から感じられることです。
壮大で人間の理解の範疇を超えた不思議なものがいっぱい詰まっている自然に出会うことが出来ます。
『家守奇譚』なんかはその最たるものかもです。
河童や小鬼、狸などのありえないもの達が加わっているのに、物語の中では周囲のものとそれらが溶け込んでいてこちらもすんなり受け入れられます。
自然の度量の大きさ?寛大さ?というんですかね?そういうのも伝わってきます。
私としては特にエッセイの『春になったら苺を摘みに』がいいですね。
作者が学生時代を過ごしたイギリスの下宿やさんの「ウェスト夫人」を中心に、彼女の周囲の人々との交流や出来事のエピソードがたくさん語られています。
イギリスの自然豊かな風景がまざまざと浮かんで、こういう環境の中で西の魔女のプロットが生まれたんだとわかります。
自然の描写はもちろんですがこのウェスト夫人もまた魅力的な人に描かれていて。
異なる思想や価値観を持った人に対して、「理解はできないが受け入れる」精神を持つ彼女の考えは、私たちの人間関係に幅広く役に立ちそうな考えです。
カウンセリングでも受容は基礎中の基礎のように口酸っぱく聞かされますが、受容とは言っても人それぞれその感覚は違うと思うんですよね。
ウェスト夫人のこの姿勢もそのうちのまた一つということで、大変参考になりました。
受容についてはまた別の機会に書こうと思っています。
話を戻して、この本の中にでてくるウェスト夫人は、あくまで梨木果歩さんというフィルターを通して私たちに伝えられているものなんですよね。
実際のウェスト夫人に私たちは出会っていないし、別の人が彼女のことを文章にしたら全く別の我の強いおばさんが現れるかもしれない。
これは文章を読む際にいつも思うことなのですが、文章に表されていることは事実であっても作者というフィルターを通ってきているわけですね。
そのフィルターは作者のものの見方、とらえ方、きりとり方などが色濃く出ているので、そこから作者の人間性や価値観なども一緒に感じ取ることができる気がします。
そう考えると、エッセイの良いところの一つはフィクションではない現実の出来事を、この作者はどう視ているのかを知ることができるというところですね。
その人の世界との向き合い方が垣間見えるというか。
こういう考え方ってなんていうんでしたっけ。
完全な客観的な事実は存在しないで、すべて目に見えるものは主観的なものである的な思想。哲学に詳しくないのでぱっと思いつきませんが、カントととかに近い感じ?
詳しい方教えてください(笑)
『裏庭』は日本版『はてしない物語』だと勝手に思っています。
児童文学の枠のようですが、読み応えたっぷりで、読後は長い冒険から帰ってきた気分味わえますよ!
解説が河合隼雄先生なのも自分的にはポイントが高いです。
それほどこの作品には、心の動きや成長の要素的描写がたくさん詰まっているということですよね。
河合先生の「人間にとって、『庭』はおそらく完成することはないのであろう。死ぬまで――いや、死んでからも――庭師の仕事は続くのであろう」という言葉は、人間存在への問いでしょうか。
児童書だけど本当に奥深い。
ページ数は多いけれど何度も読み直して読み解いていきたい作品です。
梨木さんの文章は本当にピュアで、将来こういうものの見方のできる人になりたいなといつも思います。
気持ちが少し疲れている時に読むと、すーっと和まされるそんなお話しが多いのです。
お疲れの方や、日常からちょっと離れて不思議な世界を覗きたい方におすすめです。