つれづれな雑記帳

大学院での学びや、趣味の読書で感じたこと、生活の中で心に残ったことを書き連ねる雑記帳がわりです。

死について考えること

こんにちは。

 

今日は「死」についての話題です。

 

自分の研究テーマに大きく関わってくるので、死生観に関する文献や講演会などを聞く機会がすごく多くなってきました。

それらを通して自分が感じていることを書きなぐってみます。

 

みなさんは「死」ときいてどんな印象を受けますか?

別れ、悲しい、怖い、無、よくわからない、暗い、どちらかというネガティブなイメージの人が多いでしょうか?

それとも、人生のゴール、救い、自然なもの、別の世界への入り口、なんていうポジティブなイメージもあるかもしれません。

 

日本は文化的に死をタブー視する傾向が強いと言われています。

それは風土や宗教的な背景など様々な要因によるものと考えられます。

 

確かに経験的にも自分自身、死にできるだけ触れたくないなーという感情や、実際に死に関するコンテンツから距離を置くといった行動をとっていたこともあるように思います。

世代的には上になればなるほど、死=忌み嫌うもの、と考える方が多い傾向にあるようです。

それでも最近は少しずつ死に対してオープンになってきたのかな?

にしても死を考える機会が少なすぎるというのが実感です。

 

 

これらを踏まえた上で、やはり死を考えることは私たちの人生を豊かにするためにとっても大切なことだと感じています。

 

「死」を考えるということは、自分の人生の区切りをある程度意識することにも繋がります。

 

つまり人生の有限性に気づくということです。

 

自分も含め若いうちは特に、大きな病気や事故に遭っていない限り、死なんてよくわからないし、実感が湧かないし…と考えるのが普通でしょう。

けれども絶対にいつかは訪れるものです。

 

死を意識することは、これからの人生でやれることはなんだろうと、将来について考える意欲や、できることをやりきろう!という現在の生活への活力にも繋がるかと思います。

そして、死が訪れるなら過去のつらかったことに囚われすぎに、残された時間を大切に生きようという気持ちも強まるかもしれません。

 

ここで前の記事に書いた私の研究テーマである時間的展望ともリンクしてくるわけです。

 

a12k25.hatenablog.com

 

 そして死と向き合うための準備という側面も欠かせません。

 

身近な人が亡くなった時、否定的な感情を抱くよりは肯定的に考えられる方が良いのは当たり前です。

 

しかしいくら日頃から死について考えていたって、大切な人が亡くなれば動揺するでしょうし、全く悲しくないというのはありえないと思います。

(宗教的な信仰を持っている場合にはまた話が違ってくるかもしれないので、この限りではありませんが…)

 

ただ普段から色んな人の死生観について見たり聞いたり、死について自分でも考えることをしておくことで、いつかその人の死を「すとん」と受け入れるための「お守り」のようなものを自分の中に貯えておける気がします。

もちろん自分自身の死と向き合う時にもそのお守りは使えるはずです。

 

今回の話をまとめると、死を考えることは

①自分の人生をよりよくすること

②死と向き合う準備

という2つの側面から良いことがあります。

きっと他にもメリットはたくさんあるかと思います。

 

死生観などについて何か読んでみたいと思った方は、柳田邦男さんあたりが読みやすいかと思います。

柳田國男ではないのでご注意を(笑)

ご参考までに。

 

犠牲(サクリファイス)―わが息子・脳死の11日 (文春文庫)

犠牲(サクリファイス)―わが息子・脳死の11日 (文春文庫)

 
「死の医学」への日記 (新潮文庫)

「死の医学」への日記 (新潮文庫)

 

 

朝から院生室にいたらお友達がリフレッシュにとお茶をたててくれました。

こういう気遣いがさすが臨床心理のコースだな〜!

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それではみなさんは良い休日を。

 

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