魔術の王様
こんにちは。
今日はちょっと趣向をかえて、歴史のこばなしを。
ルドルフ2世という王様を聞いたことはありますか?
高校の時は学芸員になろうと思っていて、大学も文学部のヨーロッパ史専攻で行く気まんまんだったので、その頃彼を自分の研究テーマにしようと思っていた時期もありました。
ルドルフ2世はハプスブルク家がブイブイ言わせていた16世紀末から17世紀初頭の神聖ローマ帝国の王様です。
プラハにお城を構えており、ハンガリーやボヘミアの王様も兼任していました。
政治的な能力はだめだめで、世界史的にもさらーっと一言資料集に言及されている程度ですが、この方の文化的なセンスは桁外れだったみたいですね。
驚異的なコレクターで彼の文化的功績は相当なものです。
絵画や工芸品はもちろん、天文学や植物学など興味の幅も広かったようで。
彼に見出された宮殿画家はたくさんいますが、有名なのはアルチンボルトです。
このトリックアートのような人物画、一度は見たことあるのでは?
全体としてのバランスもすごいのですが、ひとつひとつの要素の精密さにも驚かされます。
そして彼は奇人変人ということでもある筋ではとっても有名です。
プラハ城内の「黄金の小道」と呼ばれる場所に錬金術師たちを住まわせ、日夜研究に没頭させていました。
それの派生で魔術などにも手をだして、かなーり怪しいこともしていたみたいですね。
王様なのにお城に籠ってそんなことばかりしていた人って一体どんな人だったんだろう…と高校生の時の私は好奇心を駆り立てられたわけです。
政治的な能力は皆無と言われていたくらいだから対人関係も苦手だったのかな?
現代にいたとすれば、ひきこもりのオタクだけど、実は超絶的に審美眼が優れていて、知る人ぞ知る骨董コレクターみたいな?
それとも美術品の真贋を鑑定するスーパー鑑定士?
謎な人物であればあるほど、好奇心をくすぐられますね~!
こういう純粋な好奇心から学問への意欲が高まるんでしょうね。
今日はそういう気持ちを高めたい日だったので、こんな記事を書いてみました。
調べてみたらちょうど去年の今頃に渋谷の文化村で「ルドルフ2世の脅威の世界展」が開催されていたみたいです。
折角だから行きたかったな。
ルドルフ2世に興味の湧いた方はこちらの本でもぜひ。
魔術の帝国―ルドルフ二世とその世界〈上〉 (ちくま学芸文庫)
- 作者: ロバート・J.W.エヴァンズ,Robert John Weston Evans,中野春夫
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2006/01
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浅田次郎の一路
こんにちは。
今日は浅田次郎さんの『一路』についてです。
少し前にNHKでドラマもやっていたので、わりかし知名度も高いのかな?
自分は図書館で賑やかな表紙が目立っていたのでなんとなく手に取ってみたのですが、これが大正解!!
参勤交代をテーマにした人情話で、基本的にコメディタッチですが、ところどころ(というか7割くらい)笑いがあり、ドキドキひやひやもあり、ほろりもありで、上下巻の結構なボリュームですがテンポよく読むことができます。
以下wiki引用のあらすじです。
文久2年(1862年)師走、参勤交代の全てを取り仕切る供頭の小野寺家の嫡男・小野寺一路(おのでら いちろ)は、国元、西美濃田名部郡の屋敷で父親が失火で命を落としたとの報せを受け、急きょ田名部へ戻る。田名部の地を治める蒔坂左京大夫(まいさか さきょうのだいぶ)は無役の旗本で、石高は7500石と決して多くないが、大名と同等に扱われる交代寄合表御礼衆を務めるため、隔年の参勤を果たさなければならなかった。殿様からの拝領屋敷を焼失したという大失態は家名断絶にも等しい不祥事だったが、参勤の出立が間近に迫っていたため、重臣の蒔坂将監や家老の由比帯刀の口添えにより、一路は家督を相続し供頭としての務めを果たすこととなった。
しかしながら、一路は江戸で生まれ育ち田名部の地を知らないだけでなく、まだ若く現役だった父から仕事について何も教わっていなかった。焼け跡から見つかった文箱から、先祖が記した約230年前の参勤の記録を見つけた一路は、古すぎて参考にならないと一度は諦めかけるが、旅籠で出会った易者の助言で、時代を経て省略されてきた古式床しい行列の作法を復活させようとする。親戚からも家中の仲間らからも徹底して協力を拒まれる中、仕立てた羽織一式を人目を忍んで届けてくれた許嫁の国分カオルに初めて会う。つつがなく務めを終えるようにと祈ってくれた美しいカオルに心を奪われた一路は、行列を何事もなく成功させ、その暁にはカオルを娶りたいという思いを一層強くさせる。
行列に不手際があればお家取り潰しは確実、古文書の「参勤交代は行軍、戦そのものである」との言葉を胸に、背水の陣の覚悟で臨む一路に、難題は次々と振りかかる。雪深い峠越え、殿様の発熱による到着の遅れ、何よりも重大な難事は、将監らが主君・左京大夫の命を狙う陰謀を企てていることだった。
登場人物がまたいいんですよね。
主人公の真面目一辺倒の一路に、わざとうつけ者のふりをしているけれど実は超切れ者のお殿様。
一癖二癖あるけれど頼りになる周りの人たち。
そしてこういう話には欠かせない、参勤交代を邪魔しようとする黒幕の存在。
小説を読んでいて魅力的な登場人物に出会うと、自分の周りにいたらどんな感じだろう?と無意識に考える癖があります。
この小説は出てくる人出てくる人を、その度に自分の実生活に落とし込んで考えてみたくらい、魅力的なキャラのバーゲンセールです。
また話のプロットもさすがだなと思います。
単純に言えば起承転結がとってもはっきりしていてメリハリのある流れなのですが、ところどころに小ネタが散りばめられていて、ページ数の多さゆえの中だるみが全くないように感じたました。
参勤交代というテーマもいいですよね。
物語の進行に伴って、物理的な移動もあるので、話が前に進んでいることを体感的に実感できます。
「歩く」という行為が私たちの日常生活に死ぬほど身近なもので、それ故になんだか自分も参勤交代に混ざっている感覚を、文字を追いながら感じられるのかもしれないです。
この物語の中でひとつ出てくるキーワードに「一所懸命」があります。
一生ではなく、一所というところがミソです。
一所懸命という表記はもともと、武士が自分の領地を命をかけて守るという意味が込められているそうです。
とても強い使命感の信念が込められているんですね。
それに合わせて私がこの言葉を見て感じたのは、登場人物がそれぞれ一つの場所、つまり自分の立場や役割を全うする姿勢も、うまく表現されているということです。
命がけというと気安く使いづらいですが、こうやって考えると現代の私たちにだって十分あてはまる言葉だと思います。
家庭や職場、日常生活で自分のやるべきことを全うすることも一所懸命なのかなと。
命懸けでまっすぐに自分の使命に立ち向かう姿に、私も一所懸命に目の前のことに取り組もうという刺激を受けました。
カンボジアと絵本のはなし
こんにちは。
今日は昔読んだ絵本について。
その前に少し前置きを。
父が昔からカンボジア支援に何故か精力的だったので、小さい頃に実家でカンボジアに絵本を送る活動をしていた時期がありました。年に1回家族フル稼働で寄付してもらった絵本に手作業でカンボジア語の訳語のコピーをひたすら切って貼る、という作業を血眼になってやるのですが、幼稚園生の私は戦力になるはずもなく、端っこで積まれた絵本を読んでいましたが…。
その縁で昔からなにかと我が家はカンボジアの方々と交流があったりしました。
90年代〜2000年代初頭くらいまでは、まだポルポト政権の内乱が起こってから日が浅く、カンボジア国内で本という本が燃やされて殆ど存在していない状況だったようです。
そのため子どもたちのための絵本も大変重宝されて、お世辞にも綺麗とはいえないものでもカンボジアの移動図書館などで活躍している報告などを聞きました。
今はカンボジア自体も驚くほど発展して、このようなボランティア活動も前ほどは需要がなく、我が家の活動も気づいたら無くなっていました。
ただそういう経緯があったので、昔からカンボジアには親近感を持っていて、いつか行きたいなと!
念願叶って去年初めてカンボジアに行きましたが、周りの東南アジアの国々に負けず劣らずの発展ぶりに驚きました。
父も20年以上前に数回カンボジアに行っていましたが、私の旅行の写真をみて別の国みたいだな〜と感慨深く呟いていました。
本題からどんどんずれていくので、前置きはこのあたりにして!
その時に送っていた絵本は、ぐりとぐらや怪獣たちのいるところ、からすのパンやさん、おおきなかぶ、、、と有名どころばかりなのですが、その中で私が見つけると必ず自分のものにしようと泣いてねだったのが『わたしのワンピース』です。
うさぎさんが手作りのワンピースをでかけると、周りの景色がワンピースの模様になっていくおはなしです。
当時私も買ってもらったばっかりのワンピースを着て、ラララン ロロロン~と近所を散歩していました。
本気でワンピースの模様が変わると思っていたし、そのワンピースを着ていれば自分は無敵だと謎の万能感に溢れていたんですよね。
子どもの時のあの万能感ってたまに懐かしくなります。
この前ボランティア先の小学生がこの絵本を読んでいて「私もこういうワンピース持ってるの〜!」と自慢気に教えてくれたので、懐かしくなってブログで取り上げてみました。
ちょうど万能感のひとつやふたつほしいところだったので、今は万能感のへったくれもない自尊心ぼろぼろのワンピース似合わない人間になってしまいましたが、久々にワンピースを着て出掛けてみようかな。
梨木果歩さんのはなし
こんばんは。
今日は日曜日ですが、月末までに論文を書かねばならないので朝から学校にいました。
院生室に籠っていれば、ただでがんがん暖房をかけて快適に過ごせるのでいいですね。
今日は梨木果歩さんの作品について。
梨木果歩さんといえば『西の魔女が死んだ』がベストセラーです。
自分が一番初めに読んだのはなんだろう。
と思い出していたのですが、思い出せず…たしか中学校の図書館で借りた『りかさん』だったような。この世界観好き!と感じてその頃からコツコツ読んでます。
梨木さんの作品全体を通して言えることは自然の美しさを文体から感じられることです。
壮大で人間の理解の範疇を超えた不思議なものがいっぱい詰まっている自然に出会うことが出来ます。
『家守奇譚』なんかはその最たるものかもです。
河童や小鬼、狸などのありえないもの達が加わっているのに、物語の中では周囲のものとそれらが溶け込んでいてこちらもすんなり受け入れられます。
自然の度量の大きさ?寛大さ?というんですかね?そういうのも伝わってきます。
私としては特にエッセイの『春になったら苺を摘みに』がいいですね。
作者が学生時代を過ごしたイギリスの下宿やさんの「ウェスト夫人」を中心に、彼女の周囲の人々との交流や出来事のエピソードがたくさん語られています。
イギリスの自然豊かな風景がまざまざと浮かんで、こういう環境の中で西の魔女のプロットが生まれたんだとわかります。
自然の描写はもちろんですがこのウェスト夫人もまた魅力的な人に描かれていて。
異なる思想や価値観を持った人に対して、「理解はできないが受け入れる」精神を持つ彼女の考えは、私たちの人間関係に幅広く役に立ちそうな考えです。
カウンセリングでも受容は基礎中の基礎のように口酸っぱく聞かされますが、受容とは言っても人それぞれその感覚は違うと思うんですよね。
ウェスト夫人のこの姿勢もそのうちのまた一つということで、大変参考になりました。
受容についてはまた別の機会に書こうと思っています。
話を戻して、この本の中にでてくるウェスト夫人は、あくまで梨木果歩さんというフィルターを通して私たちに伝えられているものなんですよね。
実際のウェスト夫人に私たちは出会っていないし、別の人が彼女のことを文章にしたら全く別の我の強いおばさんが現れるかもしれない。
これは文章を読む際にいつも思うことなのですが、文章に表されていることは事実であっても作者というフィルターを通ってきているわけですね。
そのフィルターは作者のものの見方、とらえ方、きりとり方などが色濃く出ているので、そこから作者の人間性や価値観なども一緒に感じ取ることができる気がします。
そう考えると、エッセイの良いところの一つはフィクションではない現実の出来事を、この作者はどう視ているのかを知ることができるというところですね。
その人の世界との向き合い方が垣間見えるというか。
こういう考え方ってなんていうんでしたっけ。
完全な客観的な事実は存在しないで、すべて目に見えるものは主観的なものである的な思想。哲学に詳しくないのでぱっと思いつきませんが、カントととかに近い感じ?
詳しい方教えてください(笑)
『裏庭』は日本版『はてしない物語』だと勝手に思っています。
児童文学の枠のようですが、読み応えたっぷりで、読後は長い冒険から帰ってきた気分味わえますよ!
解説が河合隼雄先生なのも自分的にはポイントが高いです。
それほどこの作品には、心の動きや成長の要素的描写がたくさん詰まっているということですよね。
河合先生の「人間にとって、『庭』はおそらく完成することはないのであろう。死ぬまで――いや、死んでからも――庭師の仕事は続くのであろう」という言葉は、人間存在への問いでしょうか。
児童書だけど本当に奥深い。
ページ数は多いけれど何度も読み直して読み解いていきたい作品です。
梨木さんの文章は本当にピュアで、将来こういうものの見方のできる人になりたいなといつも思います。
気持ちが少し疲れている時に読むと、すーっと和まされるそんなお話しが多いのです。
お疲れの方や、日常からちょっと離れて不思議な世界を覗きたい方におすすめです。
筒井康隆作品についてすこし
こんばんは。
今日は筒井康隆のいくつかの作品について。
USBを整理していたら去年の読書記録が出てきました。
そういえば去年の今頃は律儀にいちいち記録書いてたなー
その後読書メーターを知って、気に入った作品についてはそちらで感想をかくことにしました。
ああいうのを使うと、他の人からの反応やフィードバックがあるので続けやすいです。
やっぱり何らかの言葉に残そうとすると、作品の内容を何度も反すうするし、同時に頭を使って思考を整理するので、自分の中に残るものが多いですね。
今後も積極的に本の感想はしたためようと思います。
ということで、USBデータを見たら一番上が筒井康隆の『残像に口紅を』だったので、まずは1年前の感想をコピペして見ます。
テレビで紹介されたためか,本屋で目立つところに陳列されていたため買ってみた。どうやらここ一,二ヶ月で数万冊増刷されたらしい。古本屋で探しても無かったのはそのせいか。昨年あたりからSFに片足をつっこんでみたものの,ホーガンなどの外国作家ばかりを読んでいたので日本のSF作家の作品をきちんと読むのははじめてかもしれない。(そういえば星新一は中学生の頃に何冊か読んだか)
この作品は作家である主人公が,虚構と現実のはざまで文字がひとつずつ消えていく世界をどう過ごすかを描いている。作品を読む前には,文字が消えていくことで世界に存在する概念も付随して消えていき,主人公がその孤独の中で何を感じどう動くのかをテーマにしているのだと思った。しかしながら,読了後のはじめの感想としては,ただただ筒井康隆の職人芸ともいえる言葉づかいの巧みさに感嘆するばかりといったところだ。はじめの3分の1あたりまでは,主人公の子どもや町にあふれていた当たり前のものが少しずつ消えてなくなってしまうことの物悲しさなどを感じたものの,後半に入ると,限られた文字の中で,筆者がどのように物語を盛り上げてくれるのかと言うほうに主眼がうつった。途中に入る,情事の場面などは少し理解の範疇をこえていたものの,あれも作中人物の言葉を借りるところの筒井氏の実験的試みのひとつなのだろう。文字が消えていくことの規則的なルールの説明も,厳密な説明がされていて,読者自身がゲームに加わっているような感覚になれる仕掛けであった。これを機に筒井康隆の作品をいくつか読んでみようと思う。
うーん、、、なんだか浅い感想ですが、確かにこのあといくつか筒井作品は齧ってみました。
・旅のラゴス
・パプリカ
・家族八景
・七瀬ふたたび
・エディプスの恋人
・富豪刑事
有名どころばっかりですが、個人的には旅のラゴスがダントツで好きでした。
というかラゴスだけ大分毛色の違う、壮大ファンタジー!という感じ。
「人生は旅である」というメッセージは、我々にとって普遍的で誰が読んでもなるほどなと感じる部分があるような気がします。
七瀬三部作(家族八景、七瀬ふたたび、エディプス)は、スケールの大きいSF作品で、話が進むほどどこまでいっちゃうの~!?と思いました。
家族八景は結構ドロドロで昼ドラを見てる気分にも。
ただ登場人物が超越した力を持っているのに、人間くさいところもあったりしているところが面白かったです。
富豪刑事は設定がぶっとんでいてコメディタッチなので、娯楽小説としてさくさく読めます。
こうやって書いていくと、筒井康隆さんの作風って幅広いと改めて感じます。
わりと作家読みするタイプなので、集中的に短期間で同じ作家さんの作品を読むことが多いのですが、そうそうこの人の本はこうだよねという安心感を感じるパターンと、ええええ多重人格なの~!?というパターンとがあったりします。
筒井さんは私の中では後者寄りです。
ただ少しばかり齧った程度なので深く読めばまた違った魅力が見えてくるのでしょう。
またタイミングを見て集中的に筒井康隆週間を設けようかと思います。
一番大切な本
はじめまして。
新年何か新しいことを始めたいと思って考えあぐねた結果、ブログを始めるという行動に出てみました。心の中で感じたことを上手く言葉に表すことがそんなに得意ではないので、その練習もかねて気楽に続けていけたらいいなと思っています。
記念すべき初めての記事を何について書くかは意外とすぐに決まりました。
私の一番大切な本である高野悦子さん著の『二十歳の原点』についてです。
この本との出会いは20歳の誕生日になります。
勤勉で本好きな3歳年上の兄から誕生日プレゼントにもらいました。
これだけで結構素敵なエピソードだと思うのですが、この時私は勝手な勘違いをしていました。兄はきっとこの本の内容を踏まえて私に何か学べよというメッセージをくれたとばかり思っていたのですが、後から聞いたところによると、表紙の赤い花が洒落ていたから古本屋でたまたま手にとったとのことです。
内容は全く知らなかったと...結果として私がこの本と出会えたからよしとしよう。
内容は学生運動の時代に大学生活を過ごした女性が、青年期のあらゆる悩みに葛藤しながら自殺に至るまでの心境をノートに綴った日記をまとめたものです。
初めて読んだ時の衝撃といったら3、4年たった今でも忘れられません。
読了日の日記には「自分の確固たる信念をもて!」と書いてあります(笑)
読み返すとなんとも恥ずかしい…。きっとこれがこの本から私が最も強く受け取ったメッセージだったのでしょう。
ただこの本をきっかけに、勉強との向き合い方を変えてとことんやってみること、本をたくさん読むこと、学生の身分を最大限に生かすよう努力することを心に決めました。
そして、自分と同年代の方がここまで自己と向き合い、ここまで苦しみぬいたあげく、自殺という選択肢を選ばざるを得なかったプロセスを、本を読み進めながら足りない頭を駆使して考えてみました。
もちろん答えは出ませんでしたが、あの時間は高野さんの人生を考えると同時に、自分と向き合う時間であったのかなと今振り返って思います。
この本の中には高野さん作の詩も数篇載っています。
自殺の直前に遺された「旅に出よう」が一番有名ですよね。
私の一番のお気に入りは、二月四日の日記に載っている「おまえは王様」から始まる一遍です。
おまえは王様
何者にも束縛されずに自由に生きる
あぐらをかいて瞑想にふけり
たばこを片手にペンを走らせる
思いはヨーロッパの白い山へ
秘境の国ネパールへ
フランスのカルチェラタンへ
おまえはこの部屋の王様
何者にも束縛されずに自由に生きる
眼鏡をかけたとて強くなるわけでもなし
誰でもダテの眼鏡であることを見ぬいている
欺したと思って結局己れの滑稽な姿をあらわしているだけだ
眼鏡なんてとりたくなかった
これは本のわりと序盤にでてきます。
自殺に至るまで5ヶ月近くの猶予があります。
この頃は高野さんが様々なことに葛藤しながらも、なんとかあがいていた時期かなと解釈しています。そんな時に書かれたこの詩からは、もがいてもがいてなんとか生きようとしている、強い生へのエネルギーを個人的に感じました。
思いをヨーロッパやネパール、カルチェラタンに飛ばすって本当に素敵なフレーズだと思いませんか。
この部分を読むと一緒に身体はふわふわ~と軽くなるような気もします。
感じたことを書いていたらどうやって文章をしめたらいいのかわからなくなったので、そろそろしめたいと思います。
いつかこの本の感想を語り合う機会があればと思いつつ、なかなか実現できていないので、いつかじっくり誰かとお話しできるのが一つ希望としてあります。
私自身はこの本のおかげで色々考え直した面もあるので、同じ感性を持っている人がいたら嬉しいな~と思ったりもします。
興味を持った方はぜひ一度手にとってみてください。
書きたいことをだばーっと書きなぐれたので満足しました(笑)
それではおやすみなさい。